Peace Now Okinawa! 2008レポート
by 経済研究科 Lさん
2008年9月5日から9月9日までの5日間、Peace Now Okinawa! 2008に行ってきました。戦後の沖縄に残っている米軍基地、戦争の跡地、記念館や資料館など、自分の目で見て、身をもって体験して、そして日本全国の大学からの学生といろいろ話し合って、戦争と平和のことについて勉強し考えました。スケジュール的にはかなりハードで、大変でしたが、全体的には楽しかったし、大変いい勉強になったし、良い経験になったと思っています。ここでは、まずこんな貴重なチャンスを提供してくださった全国大学生活協同組合連合会と京都大学の生協に心からお礼を申し上げます。
この五日間で学んだこと、感じたこと、考えたことはたくさんありますが、まとめてみると以下になります。
1、 Peace Now!と大学生協に関して
Peace Now! に参加したのは今回で初めてですが、Peace Now !の歴史を見てみると、なんと1981年から現在までの27年間、大学生協の平和活動の根幹として取り組まれてきたそうです。多くの組合員がPeace Now!に参加することで、広島・長崎・沖縄の戦争被害を追体験することなどから戦争の惨酷を知り、皆で話し合いながら、時代を超えて平和を考えるという非常に価値のある活動であると言えます。
実際の勉強会や交流会の時とか、証言者の話とか、よく出てくるのは「無知」、つまり「知らない」ことが怖い、「知る」ことが大事であるという話です。Peace Now !は皆さんに真実としての戦争の歴史、戦後の遺留問題などを「知る」場を提供してくれました。そして知った上で、勉強会や交流会を通じて、皆で話し合い、意見や感想を交換し合い、「平和に対する理解を深める」場と「平和について考える」場を提供してくれました。さらに、毎年のPeace Now!が終わって、皆さんが各大学に戻っても、大学生協というバックアップの元で、各大学で勉強会やら交流会を開いたりして、Peace Now!でこういうことを学んだからこそ、それを他の人に「知らせる」、つまり発信していくことができます。Peace Now!が継続的に行われていることから、絶えずにPeace Now!の輪を広げ、年々増えてくる参加者にバトンを渡し続け、各大学生協における平和活動推進の大きな原動力にもなっています。
2、 沖縄に関して
自分にとって、沖縄というと、海がきれいだとか、観光業が発達しているとか、そういうイメージが強かったです。実際にPeace Now Okinawa! 2008に参加し、沖縄の町、いろんな所を見て、確かに町や海がきれいで、沖縄人が穏やかで、沖縄の果物や料理がおいしい、沖縄の特産品が個性があって面白い、等等、そういった「光」の面はたくさんありましたが、外国人の私には予想以上、むしろ予想もしなかった「陰」の部分もたくさんありました(自分の不勉強な所もありまして反省しています)。「陰」って、別に悪い意味ではなくて、言いたいのは、きれいで一見平和の沖縄には、現に戦争時代から今もそのまま残っている複数の米軍基地があり、基地があることによって起こった事件事故や、基地の返還問題や基地と周りの住民や市町村の関係及び関わり方など、いわば基地問題が厳しい状況であると言ってもいいと思います。そして、過去には太平洋戦争の時、沖縄が戦地となり、戦争がたくさんの人を死なせ、無数の家を壊し、沖縄住民に大きな災難をもたらし、痛みや苦しみを残しました。つまり、沖縄の二面性が見えました。沖縄のこの「陰」と「光」、過去と現在、さらに現在と未来はどういうふうにつながっているかを考えること、そしてまだ問題が残っているということなので、それをどう解決していくのかを考えることが大事で、さらに、問題解決のため、沖縄県と市町村だけではなく、国レベルでも真剣に取り組んでいくべきではないと思います。
3、 戦争に関して
①戦争は惨酷なもの
戦争に関して、違う視点から新たな認識ができました。戦争は惨酷なものであることは昔から勉強してきて、中国の場合、近代ではアヘン戦争から中日戦争、解放戦争(国内)まで、自分は実際に経験していないですが、戦争の跡地、証言者の話、資料や祈念館などから、戦争がどれだけ国民を苦しめたかということを歴史が教え続けてくれた。それに関して、どこに行っても変わりはありません。太平洋戦争の被害者である沖縄を見て、戦争って惨酷なものであることを再び知らせられ、胸を痛みました。
②「日本軍もアメリカ軍も同じ犠牲者である」
これは4日目のテーマ別フィールドワークで伊江島に行った時、反戦運動で奮闘していた阿波根という人が自分の手で作った「命どぅ宝の家」という小さな資料館で見た言葉なのです。伊江島は「沖縄の縮図」と言われ、沖縄戦中の特徴も戦後の体験も凝縮されています。飛行場の建設、「軍官民共生共死の一体化」の県民指導方針、地獄の戦場、「集団死」、そして戦争が終わった現在も受け続けている基地被害など、伊江島の住民は日本軍からもアメリカ軍からも大きな被害を受けました。しかし、その故に日本軍を憎んだり、米軍を憎んだりするのではなく、根源となる戦争を徹底的に反対するべきでしょう。中国や韓国なども第二次世界大戦で日本に侵略され、苦難な日々がありました。人は誰でもやられた時の自分の痛みや苦しみを覚え、人に与えた痛みや苦しみを忘れがちです。孔子の教えにはそういった言葉がある「おれ恕か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」。自分の望まないことを人に強いない意味で、もっと自分が受けた痛みや苦しみから学習して、他人の気持ちを理解してあげたら、戦争なんておきないでしょう。
②人の力が怖い、人の力が大きい
これは交流会の時、一人の班員の発言です。人の力によってモノが作られたり、壊されたり、同じように人の力によって戦争を起こしたわけです。人の手で武器が作られ、その武器を使って家を壊したり、モノを奪ったり、人を傷害したり殺したり、沖縄だけではなく、世界中に目を広げても、人間は自分の手で自分を傷つけています。人の力が怖いものです。
逆に、人の力は大きいため、その力を利用して、戦争を止めることもできるではないかと考えました。そして、どういうふうに人の力を活かすか、どこに活かすかを考えるのが人間としての大きな課題ではないかと思いました。それによって、世界を良い方向へ変えることができるではないでしょうか。
4、 平和に関して
「今は平和なのか」と聞かれた時、半分以上の人は今は平和ではないと答えました。つい最近の「イラク戦争」をはじめ地域的な戦争や武力的衝突、世界各地のテロ活動、石油などの資源をめぐった争いや奪い合いから、頻発の犯罪、格差の問題、ないし学校のいじめまで、世界的な戦争はありませんが、今の社会今の世界はまだ平和ではありません。
そして、さらに平和って何?を皆で考えて見たところ、答えは様々でした。「平和は笑顔でいられること」、「平和は安心して安定な生活ができること」、「平和は夢を持てること」、「平和は人々お互いに助け合うこと」、「平和は平等であること」、「平和は普通の生活ができること」…平和には国境がない、世界を統合した一つの単位として考え、この地球にいる全員が一つになって、取り組まなければなりません。どうしたら人々が「平和」を感じられる社会を作れるかは、まだまだ大きな課題となっています。
5、 自分たちに関して
最後に今回のPeace Now Okinawa!を通して、自分は何ができるかを皆で考えました。それは今回のテーマである『Peace Now! からPeace Future!へ ~平和は私たちが創る!~』にも込められているでしょう。Peace Now!をきっかけに、「過去を知り、現在を考え、未来を創っていく」、その権利と責任を両方持っているはずです。
具体的に言えば、まずは「真実を知る」ことです。今回に限ることなく、これからも様々な機会で体験し、自ら歴史と時事を勉強し、過去の教訓と現在の問題を学習することが大事です。「無知」、つまり「知らない」ことが怖い、知らなければ何も始まらないです。
その次は、「知らせる」ことです。勉強会や交流会など、様々な形で自分が学習できたことを周りの人に発信し、できる限りたくさんの人に知ってもらうのです。平和、この大きな課題は一人二人の力では絶対に解決できません。地球に住んでいるすべての人々の努力が必要なのです。そして、自分から周囲へ「知らせる」ことによって、より多くの人に関心を持たせ、「平和を求める」輪を広げていきます。
その上、いろんな人と意見交換や議論を行い、「平和」について考え、理解を深めていくことです。今回のPeace Now!でもう一つ感じたのは、これです。つまり、一人の考えは限界があり、たくさんの人との交流することによって、視野が広がり、様々な視点から物事を見る、考えることができます。それによる知識の拡大と理解の深化は大きいです。
最後は言うまでもなく、実際に行動していくことです。それはなかなか難しいことで、短時間ではたどり着かないものですが、それを常に意識して少しずつがんばっていくことだけでも意味があるではないかと思います。どう行動するかはこれから最も努力しなければなりません。
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